FUJIJUN WORKSで出来ること

文章作成

専門誌やWebサイトでの邦楽ロック邦楽インディーズを中心とした音楽関係を主としたインタビュー記事やライブレポートディスクレビューを得意分野としていますがお笑い芸人俳優漫画家映画監督音楽や映像の制作スタッフ会社社長など幅広いジャンルでのインタビューや記事制作も経験しています各種専門誌やニュースサイト会社広報誌等の文章作成もご相談下さい

紙媒体、Webサイトの
編集&デザイン

フリーペーパーやファンクラブ会報や広報誌の企画、編集&デザインも手掛けています格安での小冊子制作から書籍や広報誌Webサイトの制作までご相談下さい

イベント司会、
ラジオDJなどのMC

ライブハウスでの前説や司会漫才を20年経験しローカル局にて自身のラジオ番組のDJを10年やっていますイベントやライブのMCやラジオテレビ配信番組の司会など音楽関係に限らず幅広いお喋り仕事を経験していますイベントMCからYouTubeの撮影、結婚式の二次会までご相談下さい

イベント制作、
出演者ブッキング

ライブハウスでのイベント制作や出演者ブッキングの経験を活かし小さなイベントから大きなフェスまでイベント制作や出演者のブッキングを手掛けていますライブイベントから村祭り公民館でのお楽しみ会までご相談下さい

FUJIJUN WORKS&フジジュンの歴史

1996
ロックと漫画とお笑いとプロレスとサブカルチャーが大好きだったフジジュン少年が、雑誌「宝島」をバイブルに育ち、雑誌に関わる仕事がしたい株式会社オリコンに入社。当時、オリコンウィークリーの編集長だった師匠のイノマーから、フジジュンの名を授かる。
1997
師匠に付いて周り、たくさんのバンドマンやお笑い芸人と出会う。
1998
『インディーズマガジン』の編集デザインやZIP FMでのラジオなど、社外での仕事を始める。めちゃくちゃ忙しくて、めちゃくちゃ儲かる。
1999
ライブハウス芸人・おばけえんとつ結成。ライブハウスでのMCと漫才を始める。氣志團、サンボマスター、GOING STEADYなどと出会う。
2000
オリコンを退社してフリーになる。 “一人編集プロダクション”として、企画、ライター、編集デザイン等、全てを一人でこなす。『WHAT’s IN?』『パチ▼パチ』等でのライター仕事も始まる。
2002
イノマーと共に立ち上げた、『STREET ROCK FILE』が大ヒット。青春パンクブームの到来で、ライター仕事が増える。
2003
CBCラジオ「ダイノジのキスで殺してくれないか」で構成&出演。国民的音楽番組の放送作家仕事という、最大のチャンスを取りこぼす。
2004
TBSラジオ『B-JUNK』にレギュラー出演(半年で終了)。ラジオ仕事が増える。
2005
年間100本以上のライブを見に行き、バンドマンの繋がりや仕事が少しずつ増える。
2006
ネイキッドロフトにて、お笑い&音楽イベント『星屑たちのステージ』立ち上げ。
2007
仲の良いバンドが売れたり、放送作家の仕事が増えたりと割と順調。
2008
DJ OZMA「真夜中の歩き方」を制作。夜遊びを覚える。
2009
DVD「東京ダイナマイトとサンドウィッチマン」をプロデュース。
2010
歌舞伎町のバー『ビキニマシーン』で週1店長を始める。イジケ期。
2011
東日本大震災で一気に仕事がなくなる。地獄期。
2012
株式会社FUJIJUN WORKSを起業。Webニュースの編集&運営など、音楽サイトでの仕事が増える。
2014
音楽雑誌が次々廃刊。若旦那原作のマンガ「センター」で構成を務める。
2015
長野県・諏訪市のコミュニティラジオでラジオ『激アツ!ロックンロール』がスタート。諏訪でお笑い&音楽のイベント「バカの祭典」を開催。
2017
テレビ東京『家、ついて行っていいですか?』に出演。
2018
長野県最大規模の音楽フェス『HIGHLAND “MUZUK” MANIA』の制作プロジェクト立ち上げ。
2019
雑誌『昭和50年男』創刊。企画から執筆まで、深く関わる。師匠のイノマーが死去。追悼イベントなどに深く関わる。
2020
SBCラジオにて「フジジュンの放課後ロックンロール」放送開始。
2021
新型コロナで一気に仕事がなくなる。イジケ期。
2022
新型コロナの持続化給付金が終了するも、仕事は戻らず。地獄期。コロナ禍で準備を進めていた、音楽フェス『HIGHLAND “MUZUK” MANIA』の延期が決定。
2023
音楽フェス『HIGHLAND “MUZUK” MANIA』の開催延期が決定。『HIGHLAND “MUZUK” MANIA』の開催に向けて、新たなイベントの立ち上げを誠意準備中!